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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)7897号 判決 1969年12月12日

原告 稲元ナツ

<ほか四名>

右五名訴訟代理人弁護士 尾原英臣

被告 絹川屋運送株式会社

右代表者代表取締役 塙英治

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 三善勝哉

主文

被告らは連帯して原告稲元ナツに対し金一、三六一、六八四円、原告稲元吉武に対し金四八三、五〇〇円、原告稲元早奈枝、原告稲元早陽子、原告稲元由喜枝に対し各金三四三、五〇〇円および右各金員に対する昭和四三年七月二三日以降支払い済みに至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

原告らの被告らに対するその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告らの、各負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、かりに執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、請求原因第一項(一)ないし(三)は当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば訴外武熊は昭和四三年二月二〇日午前一時二五分頃本件事故による脳挫傷、脳硬膜外及び下血腫により豊洲厚生病院において死亡したことが認められる。

二、請求原因第二項(一)中被告会社が加害車を所有していたことは当事者間に争いがないので、被告会社は加害車を自己のため運行の用に供していたものというべく、免責の抗弁が認められない限り、自賠法第三条により原告らの損害を賠償すべき義務がある。

三、≪証拠省略≫を総合すれば次の事実が認められる。

(一)  本件交差点は地下鉄東西線車庫方面から大門通方面に向う南北の道路と共同車庫方面から三ツ目通方面に向う東西の道路が直角に交差する地点で道路幅員は交差点の東側は九〇四米、西側一〇米で歩車道の区別はなく、南側は一五・三米の車道、各四〇四米の歩道があり、北側は七・六米の車道、各二・二米の歩道があり、各道路の交差点入口附近に横断歩道の表示があり、東西の道路には交差点入口附近に一時停止の標識が設置されている。なお、交通整理は行われていない。

(二)  事故当時天候は雨であり、交差点にはナトリウム灯がついていたのでやや明るい状態であった。

(三)  被告手塚は加害車を運転し三ツ目通り方面から東に向って進行し、本件交差点手前で一時停止し、地下鉄東西線車庫方面に向って時速約一〇粁で右折を開始し、三ツ目方面に向う道路上の横断歩道を二~三米過ぎ交差点に入ったところで、交差点内を歩行中の武熊を加害車の直前に発見し、ブレーキをかけたが及ばず加害車前部を同人に衝突せしめた。被告手塚が武熊の発見の遅れたのは、加害車内でヒーターをつけており、雨のためワイパーをかけていたがワイパーの拭き残しの所がくもっていたことによる。

(四)  武熊は、飲酒のうえ地下鉄東西線車庫方面から北に向って道路左側の歩道上を歩行して本件交差点にいたり、左右の交通の安全を確認せず、横断歩道を通らず斜に横断を始め交差点中央よりやや西南のところで加害車に衝突された。

右認定事実によれば、被告手塚には交差点を右折するにあたり横断歩道の先の交差点内を歩行する歩行者のあることは十分予想されるのであるからこれに対する注意を欠き、且つ降雨中ワイパーのかからない部分の見透しの悪い状態で加害車を運転し武熊の発見が遅れた過失が認められる。従って被告会社の免責の抗弁は採用の限りではない。一方右認定事実によれば、武熊には、飲酒のうえ(歩行者にあっても飲酒のため注意力が散漫となることは明らかであるので、過失相殺の一事由となり得ると解する)、左右の安全を確認することなく、横断歩道を通ることなく交差点内を斜に横断歩行した過失が認められ、両者の過失の割合は被告手塚七〇%、武熊三〇%と認める。

四、(一) 原告ナツ本人尋問の結果によれば、原告ナツは武熊の死亡に伴い葬儀費として一七八、一二〇円を要したことが認められる。

(二) 武熊が事故当時四二歳であったことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、武熊は本件事故前半年前から旭興業に勤め地下鉄駅の掃除の仕事をしていたが、その前は昭和二四、五年頃から左官の仕事をし、当初は小川吉方の所で、その後は石川恵次方で左官として働いていた。旭興業の仕事をするにいたったのは左官の仕事をしている頃二度に亘り怪我をしたので厄年を気にして一時中止したが、長男の原告吉武が昭和四三年三月に中央工学校建築科を卒業する予定であったので、その後は右長男と共に建築の仕事を行い、前記石川恵次方で左官の仕事を行う予定でいたこと。右石川方で勤務した頃は一日一、八〇〇円位一ヶ月稼働二五日位で四五、〇〇〇円の賃金を得、この他近所から頼まれ壁を直したりしたので、月平均五〇、〇〇〇円から五五、〇〇〇円の収入があったことが認められる。

右事実によれば武熊の稼働能力は、事故当時一時左官の仕事を中断していたことを考慮して、一ヶ月五〇、〇〇〇円と認められ、事故後二一年は稼働できたものと認められる。この間の生活費は右収益の二分の一である二五、〇〇〇円をもって相当と認める。これにより一年の逸失利益は三〇〇、〇〇〇円となり二一年間につきホフマン式複式年別の方法により年五分の中間利息を控除すれば四二三万円(一万円未満切捨)となる。

≪証拠省略≫によれば、原告ナツは武熊の妻、原告吉武、同早奈枝、同早陽子、同由喜枝はそれぞれ武熊の子であることが認められ、右損害を法定相続分に応じ相続したものというべきであるので原告ナツの損害は一四一万円、その余の原告らは各七〇五、〇〇〇円となる。

(三) 従って原告ナツの損害は右(一)(二)の合計一、五八八、一二〇円となるところ、武熊の前掲過失を斟酌すれば一、一一一、六八四円となり、その余の原告らの損害は各七〇五、〇〇〇円となり、これに武熊の過失を斟酌すれば各四九三、五〇〇円となる。

(四) 原告らは妻および子としてそれぞれ武熊の死亡により精神的苦痛を受けたことは明らかであり、事故の態様、武熊の過失等すべての事情を考慮し、原告ナツの受くべき慰藉料は一、〇五〇、〇〇〇円、原告吉武の受くべき慰藉料は四九〇、〇〇〇円、原告早奈枝、同早陽子、同由喜枝の受くべき慰藉料は各三五〇、〇〇〇円をもって相当と認める(原告ら五名に対する慰藉料の合計は武熊に過失のない場合原告らの請求どおり三七〇万円をもって相当と認めるが、これに武熊の過失を考慮したため上記の金額となった)。

(五) 右(三)(四)合計は原告ナツは二、一六一、六八四円、原告吉武は九八三、五〇〇円、原告早奈枝、同早陽子、同由喜枝は各八四三、五〇〇円となるところ、原告ら自賠責保険金三〇〇万円を受領したこと当事者間に争いがないので、これを法定相続分に従って右損害に充当すれば、残額は原告ナツは一、一六一、六八四円、原告吉武は四八三、五〇〇円、同早奈枝、同早陽子、同由喜枝は各三四三、五〇〇円となる。

(六) 原告ナツ本人尋問の結果によれば、本訴提起にあたり弁護士費用二〇万円を支払ったことが認められ、右は被告らに賠償させるを相当と認められる。

よって被告らに対する本訴請求のうち原告ナツの一、三六一、六八四円、原告吉武の四八三、五〇〇円、同早奈枝、同早陽子、同由喜枝の各三四三、五〇〇円および右各金員に対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四三年七月二三日以降支払済にいたるまで民法所定年五分の割合による金員の支払を求める部分は正当として認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 荒井真治)

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